愛新覚羅慧生 天城山

愛新覚羅 慧生(あいしんかくら えいせい)

ネット情報

発生 昭和32年(1957)12月4日?
発見 昭和32年12月10日
場所

伊豆半島天城隧道(旧天城トンネル)の修善寺側出入り口から登山道(上り御幸歩道)を登り向峠の先。藤ヶ沢歩道の迂回路だと1時間40分。

現場 山道から20メートルほど外れた、なだらかに低くなったくぼ地の底の百日紅(さるすべり)の木の根元というが、姫沙羅(ひめしゃら)の木らしい。現在は花活けや焼線香の容器などが置かれているらしい。翌年には碑が立てられた。
住所 横浜の嵯峨邸
考察 ■現場到着の日に実行。発見までの6日間は野ざらしで雨に流され流血は目視できず。下田街道から現場までは本人らの現場行きと収容者らが行き来した事が想像される。
その他
  • 木下明子: ふたりの死後に出版された遺簡集『われ御身を愛す』 にも出てくる、慧生さんが唯一心を許した親友。
  • 山田正さん(85歳@2007年:湯ヶ島のたつた旅館@捜索本部を経営。第一発見者?)
参考