明治天皇愛馬の金華山号が練馬区江古田の地で埋葬されていた

明治天皇の愛馬・金華山号は、江古田駅北口の現・錦華学院の地で余生を過ごした後に死亡し、埋葬されたが、天皇の命ですぐに掘り出されて剥製にされ、明治神宮の管理を経て神宮外苑の聖徳記念絵画館に現存する。大正時代測量の地図に記載の『御馬ノ碑』は、錦華学院駐車場に現存する。

明治28年6月 金華山号、26歳で現在の錦華学院敷地内で余生を過ごしていた金華山号が死亡。
明治42年(1909) 1909(明42) 測量の地図に『御馬ノ碑』の記載は無し。
大正5年(1916) 1916(大5) 測量の地図にも無し。武蔵野鉄道の記載あり。
大正8年(1919) 1919(大8) 測量の地図には不明瞭ながら記載は読み取れず。碑の位置に×印?
大正10年(1921) 1921(大10) 測量の地図に『御馬ノ碑』の記載あり。
大正10年 宮内省が御料地(東京府北豊島郡上板橋村)を下賜し、葬祭場になる。これが今の江古田斎場。
大正11年 武蔵野鉄道江古田駅開業。
大正12年4月 宮内省から錦華学院に現在の敷地を下賜。
大正12年6月 財団法人錦華学院と改称。
大正12年9月 関東大震災発生。